アイ高野 (あい たかの)

ドラマー/ヴォーカリスト。

60年代グループ・サウンズにおける重要なバンドのひとつである「カーナビーツ」のメンバーとしてデビュー、後期「ザ・ゴールデン・カップス」のドラマーとしても活躍した。

本名:高野 元成。 愛称:モッチン。 51年1月12日生。東京・大田区出身。

「フリーランサーズ」を経て、「カーナビーツ」のメンバーとしてメジャーデビュー。 シングル「好きさ好きさ好きさ」等のヒットを飛ばす。 同曲で「お前の全て〜」とシャウトしながらスティックを客席に突き出すアクションが大人気となった。

69年秋「カーナビーツ」解散後は「エディ藩グループ」を経て、70年1月にマモル・マヌーの後任として「ザ・ゴールデン・カップス」に参加する。 カップス在籍時はアルバム「フィフス・ジェネレーション」と「ライヴ!! ザ・ゴールデン・カップス」、シングル「にがい涙」と「人生は気まぐれ」、そしてオムニバス・アルバムの「ロックンロール・ジャム'70」に参加している。 この頃、後にゴダイゴに参加するスティーヴ・フォックス率いる「サンライズ」のシングル「ベイビー・ホールドオン」にもドラムとヴォーカルで参加している。

71年末のカップス解散後はソロで活動、72年には「あいたかの」名義で「そよ風のバラード(c/w初恋の森)」というシングルや同タイトルのアルバムをリリースした。

その後エディ藩グループに再び加入するが、これが「エディ藩とオリエント・エクスプレス」になる過程で脱退。73〜74年頃に「(ニュー)ゴールデン・カップス」(「横浜よいどれバンド」や「ママリンゴ」とも名乗っていた)として京都のサパークラブ「ママリンゴ」等で昔の曲を演奏していた。

74年にザ・ゴールデン・カップスでの盟友ミッキー吉野がボストンのバークリー音楽院を卒業して帰国すると、「ミッキー吉野グループ」に参加、同年の郡山での「ワン・ステップ・フェスティヴァル」にも出演するが、同年後半にはグループを離れた。

70年代後半は竹田和夫と共演するようになり、77年には「竹田和夫オールスターズ(竹田和夫、アイ高野、成毛滋 他)」として「激突3大ギタリスト夢の競演」に出演した。

77年のリーダー・アルバム「コミュニケーション・アイ高野とロックンロールフレンズ」は、ミッキー吉野を始めカップスの面々(エディ藩/林恵文/ジョン山崎/ジョージ柳/マモル・マヌー)、クリエイションのメンバー(竹田和夫/小川ヒロ/飯島義昭/上綱克彦)、元ジャガーズの沖津ひさゆき等が参加した豪華セッションアルバムだった。 

 80年には竹田和夫の新生「クリエーション」に参加(ボーカル、パーカッション)、81年にはエディ藩と共に松田優作のツアーにクリエーションのメンバーとして参加した。 この頃ソロ・シングル「シティ・サバイバル(c/w ビッグ・トゥモロー)」をリリース。 この頃クリエーションはエディ藩のアルバム「Blue Jade」の演奏を担当しており、アイも参加している。 クリエーションはアイの唄う「ロンリー・ハート」等でヒットを飛ばした。
アイ在籍時のクリエーションの映像はTVKの音楽番組に出演したものが「ライヴ帝国 ヨコハマ・ブルース・ストーリー」としてDVDでリリースされている。

80年代は、「ジャンケンポー」というバンドで「ロック・トゥ・ザ・ミュージック」をタケカワユキヒデと競作でリリースしたり、テレビドラマ「天まであがれ」(日本テレビ)の主題歌を担当した。 83〜84年頃は「ビーハイブ(BEEHIVE)」(もしくは「アイ高野とBEEHIVE」)というグル−プでコロムビアから何枚かレコードをリリースしている。また88年にはミッキー吉野、マモル・マヌー、デイヴ平尾等と共に「タイガース・メモルアル・クラブバンド」に参加、ツアーやCDリリースを行った。

90年代は浅野孝己とのユニット「Asano meets Takano」等を経て、「MURPHY SOUPE」(メンバー:アイ高野、大河内元規、大神豊治)でカーナービーツの「好きさ好きさ好きさ」や「クリエイションの「ロンリー・ハート」などのリメイクを皮切りに活動開始。 また安岡力也、東ユースケと「RAYS」というユニットを組んでシングル「負けないぜ!!〜俺達のメロディー」をリリースしている。

上述以外の活動としては、83年に「ペットントン」の主題歌(「ペットントンの1曲のみ:シングルB面にもなっている)、85年に「巨獣特捜ジャスピオン」の主題歌他を歌っている(「おれが正義だ!ジャスピオン」、「熱風野郎ジャスピオン」、「流星の戦士」、「銀河狼(スペースウルフ)ジャスピオン」の4曲)。 アニメ「銀河疾風サスライガー」にも歌や一部作曲でも参加している。
 CMソングもいろいろ演っており、「マルニ木工」のCMはミッキー吉野が作曲を担当している。

2000年代に入っても、デイヴ平尾のライブハウス「ゴールデン・カップ」への出演や 2002年の年末には内田裕也主催「New Year Rock Festival」にミッキー吉野と共につんくのバックを担当した他、 2006年初まで、グループ・サウンズ関連のコンサート等に精力的に出演していた 。 また2004年に公開されたアルタミラ・ピクチャーズの映画「ザ・ゴールデン・カップス ワン・モア・タイム」にも出演し、カップス時代の思い出を語っていた。

2006年4月1日、急性心不全で永眠された。 ご冥福をお祈りします。

アイ高野オフィシャルウェブサイト

ザ・ゴールデン・カップス公式サイト

アイ高野の部屋(公認ファンサイト)

 

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