江藤勲 (えとう いさお)

ベーシスト。

スタジオを中心に活躍していた。

43年10月16日東京生。

「津々美洋とオールスター・ワゴン」のメンバーだったが、その後「ブルー・コメッツ」に一時期在籍(63〜65年のGSになる前)した後、石川晶や田畑貞一といったジャズ系のプレイヤーたちとコンビを組んで数多くのレコード・セッションに参加、60年代後半から70年代に大活躍した。

独特のミュート・ベース奏法はこの頃の歌謡曲レコードや劇伴の数々で聴くことができる。 他に「ブラック・パンサー」というバンドもやっていたらしい。

「ロック画報」第7号収録のインタビューで、成毛滋は 「あの頃グループ・サウンズは200以上あったんですけれど、そのほとんどのレコードを、7、8人で弾いているんです。 どのバンドでも弾いているのは同じ。 ドラムは石川晶さん、田畑貞一さん、ベースは江藤勲さん、ギターは水谷公生か僕が一番多かった。 オルガンはミッキー吉野、柳田ヒロ」と語っている。

ニューロック系では、ガロの4枚目、ストロベリー・パスの「大烏が地球にやってきた日」、エムの「エムI」の一部等で演奏している。 また70年代前半には、歌謡曲や洋楽をインストにアレンジしたリーダー・アルバム「BASS BASS BASS(ふりむいてみても)」をリリースしている。

最近の活動としては、98年には村上”ポンタ”秀一のプロ・デビュー25周年記念アルバム「Welcome to My Life」にゲスト参加している。
2000年に始まったOJPC(オールディーズ・Jポップス・クラブ)のコンサートにベーシストとしてその名前を見ることが出来る。
また2003年には日本の古いポップスをハワイアンのスタイルで演奏した「哀愁ハワイアン〜That's Japanese Style」というアルバムにも参加している。

普段は音楽学校等で後進の指導に当たりつつ、気心の知れた仲間のライヴに参加する等マイペースで活動している。

ちなみに俳優の江藤潤は実弟である。

 

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