林 恵文 (りん けいぶん)

楽器 Bass。
コメント 60〜70年代に横浜を中心に活動したベーシスト。「パワーハウス」の前身である「ベベス」や、ルイズルイス加部がギターだった頃のザ・ゴールデン・カップスに参加していた。

本名:同じ。1951年5月11日横浜出身。

中学時代に同級生の陳信輝(g)とバンドを結成する。 レパートリーはリヴァプール・サウンズからベンチャーズまでカバーした、女声ヴォーカル入りの4人編成のバンドだったらしい。

66年には竹村栄二(チー坊)、陳信輝加部正義(後のルイズルイス加部)林恵文、羽鳥千明の5人でヤードバーズ、ブルース・ブレイカーズ等をレパートリーとする「ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンド」を結成する。66年末に加部がゴールデン・カップス参加のため脱退、ミッキー吉野とテッド・ローバー(g)が参加する。このバンドは67年にバンド名を「ベベズ」と変える。 

ベベズ解散後はミッキーらと共にアメリカンTOP40の曲を演奏する「フラワー・クリエイション」を結成する。ミッキーは68年7月にカップスに参加するため脱退、メンバーを補充して活動を続けるが、翌年春林もカップスに参加することになり、解散する。

69年4月にエディ藩「エディ藩グループ」第一次)結成のためにゴールデン・カップスを脱退、ベースのルイズルイス加部がギターに回ったため、林がカップスに参加してベースを担当することになる(第三期ゴールデン・カップス MarkIV)。

カップス在籍中には2枚組ライヴ・アルバム「ザ・ゴールデン・カップス・リサイタル」とシングル「蝶は飛ばない」に参加している。

また69年8月リリースの「スーパー・ライヴ・セッション」の裏ジャケットと69年11月にリリースされたベスト盤「長い髪の少女/ゴールデン・カップスのすべて」のジャケット写真にはこのメンバーで写っている(「スーパー〜」の演奏はカップス(MarkIII)で、「長い髪の〜」の方も2曲しかこのメンバーの曲は収められていないが^^)。

しかし、69年末には早くもカップスを脱退してしまう。脱退後はルイズルイス加部、ジョン山崎らと「ルーム」と言うバンドを組むが直ぐに解散。
72〜73年はエディ藩グループ第三次)に参加している他、77年
アイ高野のアルバム『コミュニケーション・アイ高野とロックンロールフレンズ』にも他のカップスの面々と共に参加している。

78年頃に渡米、西海岸でしばらく音楽活動を続けるが、やがて音楽業界を退いた。

ミッキー吉野の「日本ロック大系」のインタビューではカリフォルニアで人工衛星のパーツを作っていると語られていた。その後証券投資会社等も経営し、今もカリフォルニアで健在である。 80年の「ストリート・シーン」でゴダイゴピンク・クラウド等がロサンゼルスに行った時、現地で再会している。

時々日本に帰省しているらしいが、2003年秋には久しぶりにカップスのメンバーと再会、20数年ぶりのセッションを楽しんだ。

 

Writer/Editor 高崎勇輝
Special Thanks to [日本ロック大系」(白夜書房刊)
「日本ロック紀GS編」黒沢進氏著(シンコー・ミュージック刊)
林恵文さん
ザ・ゴールデン・カップス公式サイト
「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」サン・マー・メン著(小学館刊)
「ザ・ゴールデン・カップスのすべて」和久井光司編(河出書房新社刊)

(注) 記載内容に誤りがある場合は管理人であるところの高崎勇輝(studio-g@sound.jp)までご連絡下さい。
又はご本人及び関係者の方々が掲載を希望されない記述があった場合も、までご連絡頂ければ謹んで訂正もしくは削除させて頂きます。

ギタリスト名鑑へ

日本のミュージシャン名鑑へ

STUDIO-GIIIへ

STUDIO-Gへ

STUDIO-GCへ

©2004 BY STUDIO-G   ALL RIGHTS RESERVED