成田 賢 (なりた けん)
楽器 | Vocal, Blues Harp。 |
コメント | グループ・サウンズの中でも指折りの実力派バンドであったビーバーズのヴォーカリスト。
1945年10月22日生。本名
旧姓 西園慶一 12歳から 成田慶一となる。 ビーバーズが商業的成功を得られないまま1969年に解散すると、同バンドの一人である平井正之(G/Vo.)や当時エムを解散した浅野孝己らとエモーションを結成する。 新宿のディスコ「サンダーバード」や横浜の「アストロ」等で活動していたが、70年に解散。 レコードは残していない。 エモーション解散後、肺結核を患い、11ケ月の闘病生活を送る。退院後71年に山内テツ、原田裕臣、大野克夫、瀬川洋らと「フレンズ」というセッションアルバムを制作、その後すぐ ショーケン(萩原健一)の紹介でミッキー・カーティスと出会い、彼のプロデュースでソロアルバム「眠りからさめて」(71年)、「汚れた街にいても」(72年)をリリース。 「東鳩キャラメルコーン」のCMでのヴォーカルは(成田賢ということは知らなくても)多くの人の耳に残っているはずである(これが230曲と言われる彼のCMソングへの参加の皮切りとなる)。他にもこの頃のニュー・ロック系のアルバムにブルース・ハープ等で参加している(泉谷しげる、ジョニー大倉、ミッキー・カーティスとポーカーフェイス、クールス、 ティン・パン・アレイ、ロカビリー3人男等)。 この頃出演したイベントとしては、日比谷野外音楽堂での「日本語のフォークとロックのコンサート」 、「中津川フォークジャンボリー」、そして後楽園球場での「サントリーロックコンサート」や、「琵琶湖サマーフェスティバル」等が挙げられる。 ソングライターとして提供した曲には、岡本信への「遠い愛の日を夢見て」、笠井紀美子への「すべては一部のすべて」、マキシマム「人間の醜さが引き起こした奇怪な美しさの裏にひそんだ不快な感情を題にした詩」、そしてミッキー・カーティスへの「春だもの」等がある。 26歳の時 チリー音楽祭に日本代表で出場。帰国後、1973年に大失恋し、傷心旅行として ヨーロッパ 10ケ国を回る。3ケ月後ロンドンでノイローゼになり、帰国した。 ミッキー吉野が音楽を担当した映画「ハウス」のオリジナルサウンドトラックで「ハウスのふたり〜ハウス愛のテーマ」を唄う(同曲はシングル・カットもされた)。また、同サウンドトラックの「ハングリー・ハウス・ブルース」でブルース・ハープを吹いていた。 80年前後はアニメソング等を唄っており、サントラとして「サイボーグ009」(1979)、「電子戦隊デンジマン」(1980)、「新竹取物語1000年女王」(1981) での(主題歌コスモスドリーム〜宇宙にかける夢〜 )、「荒野の呼び声…吠えろバック」(1981)等が確認されている。 34歳の時、シングル盤「トロピカルハウス」を発表するも不発、その後一時音楽界から退き、タクシー運転手・ライブハウス店長・クラブのマネージャー・喫茶店のマスター・弾き語り・ガードマン等様々な仕事に就く。 1986年7月20日、「FUNZILLA」というゴスペル・ロック・グループに参加し、渋谷クロコダイルで再起する。 現在は第3土曜日に新宿シャローム教会で栄光号に友情出演(ブルースハープで参加)。新曲のデモCDを制作して再デビューに向けて準備中。
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