”トーキョー”ジャック・スタム(Tokyo Jack Stamm)

楽器 Blues Harp。
コメント セミプロのブルース・ハーピスト。

フリーライター、コピーライター、俳人であり、いわゆる 「六本木でうろうろしている不良外人」だったそうな。業界ではなかなかの有名人であったとのこと。

ニューヨーク出身のユダヤ系ドイツ出身のアメリカ人。
元々第二次大戦後、マッカーサーの進駐(!)の頃に来日したヒッピー(ビートニク?)。

70〜80年代には既に50か60歳台位だったが、その一風変わった人生感は、エディ藩ミッキー吉野、松田優作らに新鮮な感動(癒し?)を与えたらしい。

「プロのミュージシャンじゃないんだけど、吟遊詩人みたいにさ、毎日パブに行って、ハーモニカ吹きながらさ、スプーンとフォークでリズム取って、演奏するわけ。ブルースは趣味なんだけど、めちゃくちゃうまいんだよ。すごくピュアな人でさ。(中略)変わった人だったよー。”よし、このメンバーで(松田優作の)ツアー決まった”って言った途端、ハッパでつかまっちゃってさ(笑)。だから俺、警察に行ってね、”この人、いま無一文だけど、これから大きな仕事があるんで出してください”って頼んだんだよ。それで九州行くと、フッていなくなっちゃって。その日はたまたま小雨が降ってたんだけど、しょうがないから探しに行くと、フラフラ歩いててね。あーあと思って俺が傘差し出すと、”春雨じゃ濡れていこう”って(笑)。
優作もね、そんなジャックをすごい大事にしてくれたの。自分の親父ぐらいのトシの、変な外人をさ。だから、その時のバック・バンドは、日本人じゃないようなイメージでやったんだよ」(エディ藩の「ザ・ゴールデン・カップスのすべて」(和久井光司編・河出書房新社刊)収録のインタビューより抜粋)。

ここでエディが語っているのは、80年の松田優作のアルバム「Touch」にも「Tokyo Jack」としてブルース・ハープで参加、松田優作&エディ藩グループでの同年末の内田裕也主催「フラッシュ・コンサート」 出演や全国ツアーにも参加した時のことである。

ちなみに「春雨じゃ濡れて行こう」は新国劇や映画等で有名だった行友李風作「月形半平太」の名台詞である。 同じインタビューでエディは、ジャック・スタムがザ・ローリング・ストーンズの「ミス・ユー」でブルース・ハープを吹いているらしいと語っているが、残念ながらこれは誤りで、「ミス・ユー」のハープはシュガー・ブルーである。現在までのSTUDIO-Gの調査ではストーンズのバックにジャック・スタムが参加した形跡はない。

同時期にゴダイゴのアルバム「M.O.R.」収録のタイトル曲で間奏のハープ・ソロを吹いている。

俳人としては、俵万智の「サラダ記念日」の英訳「『英語対訳版サラダ記念日」(1988年9月河出書房新社.)や共著として「俳句の国の天使たち」(青少年の俳句を紹介したもの)、そして自身の作品集「俳句のおけいこ」(河出書房新社)では 次の様な日英2ケ国語で俳句を作っている。

長き夜のうす紫の気分かな

long night  
In a mood colored
washed-out purpul

俳人・文筆家の江国滋(作家の江国香織の父)とは親友で、江国は「滋酔郎」、ジャック・スタムは「雀酔」 という号で俳句を読みつつベルリンを旅した記録を、江国が「伯林感傷旅行」(新潮社)に記している。

99年没。  上述の「俳句のおけいこ」では江國滋、鷹羽狩行、金子兜太、草間時彦等の俳人が追悼文を寄せて、彼の死を悼んでいる。

ミュージシャンに愛され、俳人に愛され、日本を愛し、幸せな人だったのだろう。

 

Writer/Editor 高崎勇輝
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