井上堯之バンド(A.K.A.井上堯之グループ)

井上堯之のリーダーグループ。

71年にGSのスーパースターを集めて結成されたニュー・ロック・バンド「PYG」のうち、ヴォーカルの沢田研二と萩原健一を除いたプレイヤー集団が「井上堯之グループ」と呼ばれる様になった。

ジュリー(沢田研二)の全盛時代にそのバックを担当していた他、TVドラマ「太陽にほえろ!」等音楽製作でも活躍した。

PYGの結成は71年初で、これは多分に渡辺プロの仕掛けによるものだったのだろう。
ヴォーカルに
沢田研二(Ex.タイガース)と萩原健一(Ex.テンプターズ)、ギターが井上堯之(Ex.スパイダース)、ベースに 岸部修三(Ex.タイガース)、キーボードに大野克夫(Ex.スパイダース)、ドラムに大口広司(Ex.テンプターズ)という 「ビジネス」の観点から見たら豪華なメンバーだった。

71年4月10日にP.Y,G.としてのデビュー・シングル「花・太陽・雨」をリリース、7月21日に2ndシングル「自由に歩いて愛して」、8月10日にアルバム「PYG」と続け様にレコードをリリース、ロック・フェス等にも精力的に出演するが、ニューロックのスタイルに従来のGSファンは離れ、ニュー・ロック・ファンからは「商業的」とソッポを向かれ、ステージでは「帰れコール」を浴びる等散々な船出だった。
同年9月にはドラムが大口から元「サムライ」の
原田裕臣に交代する。

その後、沢田研二、萩原健一がそれぞれ歌手・俳優として独立した地位を占める様になり、沢田+バンド、萩原+バンドという形でバラ売りされることが増えてくる。

例えばPYGのファースト・アルバム「PYG!」からのシングル・カット「もどらない日々」は「萩原健一+PYG」名義でリリースされている。
こうして、PYGの演奏陣が「井上堯之グループ」呼ばれる様になる。

井上グループは麻生レミやかまやつひろしのバックで各種のロック・コンサートに出演する。
71年11月10日にはPYG.名義での2枚目(かつ最後) のアルバム「FREE WITH PYG」(ライヴ盤)がリリースされる。

PYG名義でのシングルも72年まではリリースされていたが、沢田研二のソロ・シンガーとしての活動が定着するにつれ、PYGの名前は使われなくなる。 

一方で井上堯之グループは「井上堯之バンド」と呼ばれ始め、72年7月21日に 始まった長寿番組「太陽にほえろ!」の音楽を担当する。 

沢田研二のコンサートでのバック・バンドはずっと井上堯之バンドが務めており、74年1月3・4日大阪フェスティバル・ホールの「新春唄いぞめ 沢田研二ショー」からギタリスト速水清司がバンドに加入する。
同年5月25日には「井上堯之バンド」名義で「太陽にほえろ!」のサントラ・シングルが発売。

74年前半にドラマー原田裕臣が脱退(75年には「ミッキー吉野グループ」第四次)に参加する)、村上"ポンタ"秀一も候補に挙がったらしいが、最終的には田中清司が後任となり、74年6月に加入する。

その後「太陽にほえろ!」のサウンドトラックや萩原健一主演のTVドラマ「傷だらけの天使」サントラ・シングル等がリリースされ、井上堯之バンドは沢田研二のサポート・バンドと同時に「劇伴」バンドとしての地位を確立する。

井上は75年2月に(株)ウォーターエンタープライズを設立、ソロ名義でのアルバムもリリースする様になる。

75年5月19日の鶴岡市民会館でのコンサートを最後にベーシスト岸部修三が井上バンドを脱退(俳優に転向、後の岸部一徳となる)、前後は不明だが同時期にドラマー田中清司も脱退。

75年7月20日の京都比叡山蛇ヶ池人工スキー場での「オープニング・フリーコンサート」を皮切りに始まった「JULIE ROCK'N TOUR '75 」 (8月1日〜8月28日)では後任ベーシストに佐々木隆典が参加するが、ドラマーが不在だったため、原田裕臣に声がかかり、同ツアーは井上堯之バンド+ミッキー吉野グループ(第五次)が演奏を務めることになる。このツアーは比叡山と大阪球場のライヴがTVで放送されているが、トリプル・ギター、ツイン・ベース、ツイン・キーボードにドラムという大編成で、しかもツアー最後の数回は9月に井上堯之バンドに参加する鈴木二朗がドラムで参加しているので、ツイン・ドラムにもなっている。ドゥービー・ブラザーズのラスト・コンサートをも凌ぐ大所帯である^^。

75年9月21日の仙台での沢田研二コンサートから、鈴木二朗がドラマーとして正式参加する。
10月と11月には「井上堯之ウォーターバンド」名義でコンサートを実施、翌年1〜3月には井上堯之ウォーターバンドのコンサート・ツアーを実施する。

76年9月25日には井上堯之のソロ・アルバム「ウォーター・マインド」がリリースされ、10〜11月には2回目の井上堯之ウォーターバンド としてのツアーを行う。 このツアーから2ndキーボーディストとして羽岡利幸が参加する。 
77年2月高槻での沢田研二コンサートを最後に速水清司が脱退、「速水清司&コースト」を結成する。
77年12月には井上のセカンド・アルバム「Don't drink the water」がリリースされ、12月22日の沢田研二の武道館コンサートから速水清司が復帰する。

78年3月に大野克夫がソロ・アルバム「FREE WAYS」を、11月にもアルバム「Windword Hill」をリリースする。

79年7月には井上のサード・アルバム「On The Boat」がリリースされる。 この間沢田研二はヒットを連発、歌謡界のスターとして君臨する。

しかし、80年1月24日の沢田研二「日劇新春公演」コンサートと、 1月27日「8時だヨ!全員集合」への出演を最後に井上堯之バンド は解散する。

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バンド名 Gt B Key Dr Vo Vo

期間

PYG. 井上堯之 岸部修三 大野克夫 大口広司 沢田研二 萩原健一 71年1月〜71年9月
PYG.(第二期) 井上堯之 岸部修三 大野克夫 原田裕臣 沢田研二 萩原健一 71年9月〜69年末
井上堯之グループ 井上堯之 岸部修三 大野克夫 原田裕臣 N/A N/A 71年9月〜69年末
バンド名 Gt B Key Dr Gt. Key

期間

井上堯之バンド 井上堯之 岸部修三 大野克夫 原田裕臣 速水清司 N/A 74年1月〜6月
井上堯之バンド 井上堯之 岸部修三 大野克夫 田中清司 速水清司 N/A 74年6月〜75年5月
井上堯之バンド 井上堯之 N/A 大野克夫 N/A 速水清司 N/A 75年5月〜7月
井上堯之バンド 井上堯之 佐々木隆典 大野克夫 N/A 速水清司 N/A 75年7月〜9月
井上堯之(ウォーター)バンド 井上堯之 佐々木隆典 大野克夫 鈴木二朗 速水清司 N/A 75年9月〜76年10月
井上堯之バンド 井上堯之 佐々木隆典 大野克夫 鈴木二朗 速水清司 羽岡利幸 76年10月〜77年2月
井上堯之バンド 井上堯之 佐々木隆典 大野克夫 鈴木二朗 N/A 羽岡利幸 77年2月〜12月
井上堯之バンド 井上堯之 佐々木隆典 大野克夫 鈴木二朗 速水清司 羽岡利幸 77年12月〜80年1月

解散後は井上は柳ジョージとバンド・オブ・ナイト」、ショーケンのバック・バンドの「アンドレ・マルロー・バンド」で活動、大野克夫は「大野克夫バンド」を結成する等それぞれの活動を行う様になる。

井上堯之は97年にラングラージーンズCMソングとしてBE A COWBOY」という曲を井上堯之バンド名義で作り、非売品シングルも製作されている(東芝EMI:PCDSZ-1120)が、これは一時的なものだった。

バンド名 Gt B Key Dr Gt Other

期間

井上堯之バンド 井上堯之 松原秀樹 友成好宏 沼澤尚 長谷川雅大 N/A 97年

2004年2月27日(金)には東京厚生年金会館 大ホール(東京・新宿)で井上堯之バンド名義でのコンサートが行われた。

 

バンド名 Gt B Key Dr Gt Sax

期間

井上堯之バンド 井上堯之 渡辺健 ミッキー吉野 樋口昌之 速水清司 鈴木明男 2004年2月

井上堯之は今や気の向くまま飄々と演奏活動をしていくという感があり、パーマネント・バンドとしての「井上堯之バンド」を率いていくということはなさそうだが、頑張って欲しいものである。

本ページのデータの多くはジュリーのファン・サイトであるKeiko.Nさんの「Julie Mania Forver」(「STUDIO-G LINK」) にある「KUSUさんレポ」に掲載されているFUCK-U-さんの「井上堯之バンドBIOGRAPHY」を 参考にさせて頂いています。
ありがとうございました。

Writer/Editor

高崎勇輝(based upon the data from Mr.Fuck-U-だ!さん)

Special Thanks to

JULIEMANIA FOREVER(「STUDIO-G LINK」)参照。

(注) 記載内容に誤りがある場合は管理人であるところの高崎勇輝(studio-g@sound.jp)までご連絡下さい。
又はご本人及び関係者の方々が掲載を希望されない記述があった場合も、までご連絡頂ければ謹んで訂正もしくは削除させて頂きます。

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