The Golden Cups Mark VIII

(第六期ゴールデン・カップス MarkVIII)

Member Instruments
デイヴ平尾 Vocals
エディ藩 Guitar, Vocals
アイ高野 Drums, Vocals
ジョージ柳 Bass,Vocals
ジョン山崎 Keyboards, Vocal
       

70年7月頃、ミッキー吉野が脱退して当時キーボード不在だったゴールデン・カップス(Mark VII)ジョン山崎が参加したもの。結局半年経たない12月には解散が決まり、71年1月初の沖縄でのコンサートを最後にザ・ゴールデン・カップスは約4年の活動に幕を閉じる。

最後のレコードはこのメンバーで録音されたライヴ盤「ライヴ!! ザ・ゴールデン・カップス」(71年7月30日の日比谷野音)である。

73〜74年頃にデイヴ平尾を中心としてルイズルイス加部柳ジョージアイ高野等が流動的に参加して、(ニュー)ゴールデン・カップスとしてクラブ等で営業的に活動していたらしいが、これは本来の「ゴールデン・カップス」に加えるべきでない と思う。

60年代後半はカップスが活躍出来る二つの要素があった。

一つ目はグループ・サウンズ・ブームである。カップスは最もグループ・サウンズらしからぬバンドであったが、それでもメディアとしてカップスが出演する機会はそれなりにあり、またジャズ喫茶もかなり多くあったため演奏の機会には事欠かなかった。
二つ目は当時の海外ロックの輸入事情である。60年代後半は海外のアーティストの来日公演はもちろんレコードの入手もままならない時代であり、最新の英米ロックを取り入れてカッコ良く演奏するカップスは、日本のロックの最先端とも言えた。 しかし、70年代に入りレコードが日本でも同時発売される様になり、またレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド等のバンドが続々来日する様になると、こうした意味での日本のロック・バンドの意義は失われていく。

井上 堯之「ロック画報07」(BI PRESS刊)で次の様に語っている。「(前略)僕にも自己矛盾があったんですよね。(略)例えばあの当時、月に2枚レコードが買えるお金があったとしましょう。そこで自分の好きなロックのレコードを買うなら、スパイダーズやPYGや井上バンドのレコードじゃないじゃないですか。(略)やっぱり当時は向こうのロックを買いますよね。(以下略)」 これは当時のカップスにも言えることである。 ブームに乗っていただけのGSバンドが淘汰されていくのは当然としても、サウンド中心のニューロック・バンド」にしても70年代はある種「冬の時代」に入っていく。 海外ではロックという音楽ジャンル自体が急速に進化・商業化していく中で、日本国内は「輸入中心」で国産ロックが商業的に成立する場が非常に限られているのである。

ザ・ゴールデン・カップスもこの例にもれず、バンドとしての活動は70年一杯が限界だったのだろう。

解散後の活動はそれぞれのメンバーのコラムを参照のこと。

 

Writer/Editor 高崎勇輝
Special Thanks to 「日本ロック紀GS編」黒沢進氏著(シンコー・ミュージック刊)
[日本ロック大系」(白夜書房刊)
「ロック画報07」(BI PRESS刊)
「天使はブルースを歌う」山崎洋子氏著(毎日新聞社刊)
「みんなGSが好きだった」北島一平・中村俊夫両氏著(扶桑社文庫)
ザ・ゴールデン・カップス公式サイト
「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」サン・マー・メン著(小学館刊)
「ザ・ゴールデン・カップスのすべて」和久井光司編(河出書房新社刊)

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