石川 晶 (いしかわ あきら)

楽器 Drums
コメント スタジオ・ミュージシャン。 ジャズ・ドラマーとしても有名で、石川晶とカウントバッファローズ(カウント・バッファローと表記されている場合もある)で多彩な活動を行った。

31年11月10日生。東京横須賀出身。
田中 雅一、松本伸両等に師事。
松本伸とニュー・パシフィック、宮沢昭モダン・オールスターズ、保坂俊雄とエマニアーズ等を経て50年代半ばに「宮間利之とニューハード・オーケストラ」のメンバーでスター・プレイヤーとなり、66年11月の脱退後はスタジオ・ミュージシャンとして売れっ子になる。 「ビートポップス」というテレビのレギュラー番組を持っており、そこで「石川晶とゲンチャーズ」というリーダー・バンドを組んでいた。その「ゲンチャ−ズ」が「石川晶とカウントバッファローズ」となる。「フリーダム・ユニティ」や「フォーメイションズ」というバンドも率いていた。「石川晶とスペース・ギャング」というクレジットでもアルバムもある(当時はジャズ・ミュージシャンのバンドはメンバーが流動的で、バンド名もかなりフレキシブルに(あるいは適当に)つけられていた様だ。

カウント・バッファローズには、直居隆雄江藤勲、村岡健、ラリー寿永寺川正興等色々なミュージシャンが流動的に参加し、RCA、東芝、キング、コロムビア等様々なレーベルから数多くのレコードを出した他、劇伴(サントラ)、CM、サウンドチェック等の企画アルバム、そしてライヴ等70年代にはとても幅広く活動していた。

「ロック画報」第7号収録のインタビューで、成毛滋は 「あの頃グループ・サウンズは200以上あったんですけれど、そのほとんどのレコードを、7、8人で弾いているんです。 どのバンドでも弾いているのは同じ。 ドラムは石川晶さん、田畑貞一さん、ベースは江藤勲さん、ギターは水谷公生か僕が一番多かった。 オルガンはミッキー吉野柳田ヒロ」と語っている。

「海のトリトン」、「科学忍者隊ガッチャマン」、「ゲッターロボ」、「キカイダー」等70年代のアニメの劇伴の多くは、寺川−石川晶の組み合わせで製作されているらしい。 NHK教育テレビの「わんつー・ドン」で色々な打楽器を演奏していた等、子供達の啓蒙にも熱心だったことが後の「フューチャー・キッズ・プロジェクト」にも繋がっているのだろう。

その音楽性はジャズに止まらずソウルやロック(当時はシカゴやBS&T等「ブラス・ロック」と言われるジャンルが注目されていた)等、非常にバラエティに富んだものだったらしい。

直居隆雄氏のサイト「STUDIO-G LINK」参照)で、直居氏が同バンドでの活動を語っている。
「スタジオミュージシャン全体にとっても、ボクにとっても怖いもの知らずで、肩で風をきっていた時代です。けっして懐かしむわけではありませんが音楽的にも大変面白い時代であったことは確かです。」ということで、音楽の高度成長期という感じだったのだろう。

現在は恵比寿で「ピガピガ」というアフリカ音楽のお店をやりながら、長年の夢だったアフリカのナイロビで悠々自適の生活を送り、アフリカの貧困にあえぐ子どもたちを救う「フューチャー・キッズ・プロジェクト」に携わっていたが、2002年2月8日に永眠された。ナイロビ及び日本で追悼会が行われた。 人徳のあった方らしい。 合掌。

 

Writer/Editor 高崎勇輝
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